道後温泉には神話伝説と開湯伝説がある。
【神話伝説(伊予国風土記逸文)】
神話の時代、大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、長旅の疲れからか少彦名命が急病に苦しんだ。
大国主命は小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだしたという。この模様を模して、湯釜の正面には二人の神様が彫り込まれている。
また、その上で舞ったという石は、道後温泉本館の北側に「玉の石」として奉られている。こちらにも、白鷺同様、命の「足跡」と伝えられる跡が残っている。なお、有馬温泉、玉造温泉ほか全国の各地に類似の伝説がある。
【開湯伝説(白鷺伝説)】
昔、足を痛めた白鷺が岩の間から流れ出る湯に浸していたところ、傷は癒えて、飛び立って行くのを見て、村人が手を浸すと温かく、温泉であり、効能を確認したという伝説がある。これが道後温泉の発見とされる。
道後温泉のみならず、白鷺と温泉の縁は深く、各地の温泉の発見物語に白鷺が登場する。道後温泉ではさらに念の入ったことに、その白鷺が舞い降りた跡が残ったものとのいわれのある石(鷺石)があり、市内電車の駅前の放生園(ほうじょうえん)という小公園の一角に据えられている。
なお、白鷺は道後温泉のシンボルの一つともなっており、道後温泉本館の周囲の柵にも白鷺をモチーフとした意匠がみられる。また、鷺谷という地名が残っている。
有名な聖徳太子の来由については伊予国風土記逸文に記されており、厩戸皇子(聖徳太子)が病気療養のため道後温泉に滞在したことがに記されている。皇子は伊佐爾波の岡に登り、風景と湯を絶賛し、記念に碑文を遺したとされるが、今日までその現物は発見されておらず、道後温泉最大の謎とされている。(14世紀に河野氏が湯築城造営の際に持ち去ったという説もある)
椿の湯の南側の緑地にその模様を記した碑が建立されている。
これをはじめとして、日本書紀や伊佐爾波神社(いさにわ〜。八幡宮)の社伝などによると、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)など多くの皇族方が行幸したとされる。 |