由来としては、神々が但馬の国を開拓された上古、円山川流域の豊岡盆地の一帯は大きな湾でした。
周囲の山々から流れ込む土砂で黄色く濁っていたことから黄沼前海(きぬさきのうみ)と称されており、
城崎という地名は「黄沼前」の名を受け継いだものではという説がある。
一般的には養老元年717年から養老四年720年、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したことが城崎温泉のはじまりとされ、
(現在のまんだら湯)道智上人は温泉寺開山でもある。温泉寺は以後、城崎温泉の社会的中心になった。
江戸時代の温泉番付によると西の関脇(最高位は大関)にランクされる。ライバルの有馬温泉は西の大関。
江戸時代の外湯の元になった湯壷は9つあった。
明治以後は文人墨客に愛され、『城の崎にて』を書いた志賀直哉、作家・有島武郎をはじめとする多数の文豪が来訪した。 |